【特集】癌(がん)闘病したプロ野球選手まとめ
今年2018年は、元プロ野球選手の星野仙一さん、片平晋作さん、そして衣笠祥雄さんが、癌(がん)によってこの世を去りました。
“闘将“や“鉄人“といった球界レジェンドの早すぎる訃報に、癌(がん)という病気の怖さをあらためて感じたという方も多かったことでしょう。
また、昨年は元日本ハムファイターズ監督の大島康徳さんが、ステージ4の末期がんと宣告されたことを公表し話題に。ブログで前向きに病気と向き合う姿は、現在もたいへん多くの方に勇気を与えています。
今回は、40代や50代を過ぎれば誰でも気になる癌(がん)について考えるきっかけとして、“がん闘病したプロ野球選手たち”をご紹介します。
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癌(がん)闘病によって亡くなったプロ野球選手たち
まずは、癌(がん)闘病によって亡くなられたプロ野球の方たちをご紹介します。
1.衣笠祥雄(広島東洋カープ) /上行結腸がん
衣笠祥雄さんは、今年2018年、4月23日に上行結腸がん(大腸がんの一種)によって71歳で亡くなりました。
衣笠選手は、骨折しても試合に出場したり、2215試合連続出場というプロ野球の日本記録(世界2位)を持ち、”鉄人”の愛称で親しまれてきた球界のレジェンド。
1987年には、当時、プロ野球選手としては、王貞治選手に次ぎ2人目となる国民栄誉賞も受賞しました。
2.星野仙一(中日ドラゴンズ)/ すい臓がん
星野仙一さんは、2018年1月4日、すい臓がんによって70歳で亡くなりました。
星野さんと言えば、これまで監督を歴任してきた中日・阪神・楽天では、指揮官として3チームすべてを優勝に導いてきた名将です。
しかも、すべてのチームにおいて前年5位以下の低迷時に監督を引き受けてきたというおまけ付き。
サラリーマン管理職にとっての“理想の上司”としてもランキングされるほどの名指導者として人気でした。
3.盛田幸妃(横浜ベイスターズ/近鉄バッファローズ)/ 転移性悪性腺腫
盛田幸妃さんは、転移性悪性腺腫により、2015年、45歳という若さで亡くなりました。
盛田選手は、1998年のシーズン中に身体の不調が起こり、1軍登録を抹消。検査の結果、脳に髄膜腫(ずいまくしゅ)という腫瘍が見つかり、手術を受けたことで右足首の自由がきかなくなるという大きなハンディを背負いますが、懸命リハビリを経て翌年には1軍に復帰します。
さらに、2001年には34試合に登板し、近鉄バッファローズの12年ぶりのリーグ優勝に貢献。
オールスターゲームにも中継ぎ投手部門でファン投票1位を獲得し、カムバック賞も受賞。盛田選手の復活劇は、多くのファンに感動を与えました。
4.藤井将雄(福岡ダイエーホークス)/ 肺がん
藤井将雄さんは、2000年、末期の肺がんにより31歳という若さで亡くなりました。
当時、藤井選手は、投手として福岡ダイエーホークス(現・ソフトバンクホークス)に所属。“炎の中継ぎ”と言われ、がんが発覚した1999年も、チームを26年ぶりのリーグ優勝、35年ぶりの日本一に導くなど大活躍をおさめていました。
現在、藤井選手が在籍していた福岡ドームの15番通路は、藤井さんの背番号にちなんで“藤井ゲート”と呼ばれ、藤井選手の付けた背番号「15」は、現在も準永久欠番として誰にも使用されていません。
藤井選手がなくなって20年近くが経ちますが、ホークスが現在に至るまで常勝チームとして君臨し続けていつるその原動力は、彼の“野球をしたい”という魂が今でもチームに受け継がれているからに違いありません。
5.津田恒美(広島東洋カープ) / 悪性脳腫瘍
津田恒美さんは、悪性脳腫瘍により、1993年、32歳という若さで亡くなりました。
津田選手は、“炎のストッパー”と呼ばれ、カープの抑え投手としてリーグ優勝などに貢献。
直球勝負を武器としたスタイルや明るい人柄などで多くの仲間やファンに愛された名選手でした。
2000年には、津田選手の奥さん・晃代さんによる著書『最後のストライク』が、岸谷五朗さん主演でドラマ化。
津田選手の存在は、野球ファンのみならず、さらに一般の多くの人にも知られることとなります。
また、亡くなられた後も、その功績が称えられ野球会の殿堂入りを果たしています。
その他がんによって亡くなったプロ野球選手たち
●片平 晋作(南海/西武/大洋) … 2018年1月、すい臓がんにより死去。
●土井 正三 (巨人、オリックス)… 2009年、すい臓がんにより死去。
●仰木 彬 (西鉄/近鉄/オリックス) … 2005年、肺がんによる呼吸不全により死去。
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癌(がん)闘病の経験のあるプロ野球選手たち
がんは手術や治療を行っても、数年後に再発する可能性なども考えられ、”完治する”という概念がありません。
それでも、がんを克服し日常生活を送ったり、がんと向き合い闘病生活を送っているプロ野球選手や元プロ野球選手の方たちもいます。
赤松真人(広島東洋カープ)/胃がん
現在も、現役選手の赤松真人選手。
赤松選手は、2004年に阪神タイガースに入団し、2008年に広島東洋カープに移籍。
2010年には、外野手としてゴールデングラブ賞も獲得するなど、俊足を活かした走塁と守備、そして長打力もあるバッターとして活躍します。
しかし、2016年、赤松選手が34歳の時、初めて受けた人間ドッグで初期の胃がんが発覚します。
そして2018年、カープに在籍中の赤松選手の現在は?
原口文仁(阪神タイガース)/大腸がん
原口文仁選手は、2019年1月に大腸がんを公表したばかり。
原口選手は、2009年に阪神タイガースにドラフト6位で入団。
2016年には、月間MVP獲得やオールスターゲーム出場を果たしました。
最近では、代打の切り札として、一塁手や捕手もこなすなど、さらなるが活躍が期待されていた矢先のがん公表でした。
角盈男(読売ジャイアンツ)/ 前立腺がん
角盈男さんは、抑えのエース投手として活躍し、1981年には最優秀救援投手のタイトルを獲得。
王貞治監督時代には、勝利の方程式“角-鹿取-サンチェ”と呼ばれ流行語にもなるなど、巨人軍の常勝時代を支えてきた選手の1人です。
そんな角さんは、2014年、47才の時に、前立腺がんが発覚。
最先端の重粒子線治療により、現在はがんを克服し、現在もタレントとして活躍されています。
王貞治/(胃がん)
“世界の王”も、がん闘病経験者のひとり。
王さんは、監督として2006年3月にWBCで日本代表を世界一に導いた後、ソフトバンホークスの監督としてシーズンを闘っていた真っ最中に、胃がんが発覚します。
腹腔鏡下手術は、9時間にも及んだそうです。
戸叶尚(横浜ベイスターズ~オリックス~楽天)/精巣がん
1998年の横浜ベイスターズ・日本一にも貢献したサイドスローのエース・戸叶尚さん。
戸叶さんは、楽天イーグルス在籍時代の2006年シーズン中、31歳の時に精巣がん発覚します。
幸い早期発見・早期手術によって、チームの練習にも回復しますが、その年に現役引退を表明。
現在でも、解説者や野球教室のコーチとして野球界に関わる活動を行っています。
大島康徳(中日ドラゴンズ・日本ハムファイターズ)/ 大腸がん
大島康徳さんは、1968年に中日ドラゴンズに入団し、その後、日本ハムファイターズの選手や監督を務めます。
現役時代には、ホームラン王や2,000本安打を獲得し、名球会にも名を連ねるほどの名選手でした。
現役引退後は、野球解説者や、バラエティ番組に出演するなどご活躍をされていましたが、昨年2017年、67歳の時にステージ4の大腸がんであることを公表しました。
選手時代から“熱血”として知られていた大島さんだけに、余命が心配されるステージ4の大腸がんはとてもショッキングなニュースとして話題になりました。
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