東京海上創業者・渋沢栄一ゆかりの地「渋沢史料館」に行ってみた

今回は、新1万円札の肖像画に採用されることが決まった渋沢栄一ゆかりの地・『渋沢史料館』について紹介します。

渋沢栄一は、今からちょうど140年前の明治12年(1879年)、三菱財閥の岩崎弥太郎らとともに、日本で最初の保険会社・東京海上保険会社(現・東京海上日動火災保険株式会社)を設立した人物です。

そう、これから1万円札の顔になる人物は、保険業界にとっても偉大な人物なのです。

そして、東京都北区西ヶ原・飛鳥山公園内にある『渋沢史料館』は、渋沢栄一の活動を広く紹介する博物館なのです。

尚、写真は、渋沢栄一が新1万円札の肖像画として採用されることが発表された2019年4月9日当日のもの。シーズン以外は、桜は咲いていませんので予めご容赦ください。

 

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渋沢栄一プロフィールと生い立ち

そもそも、”渋沢栄一って誰?”と思う方もいるかもしれません。

渋沢栄一は、”日本資本主義の父”と呼ばれ、約500もの企業の設立に関わり(!)、約600もの教育機関・社会公共事業の支援を行ってきた(!)と言われる偉大な人物です。


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●生年月日:1840年3月16日(天保11年2月13日)~1931年(昭和6年)11月11日(満91歳没)
●出身:武蔵国榛沢郡血洗島村(現・埼玉県深谷市血洗島)

「日本資本主義の父」と呼ばれるまで

渋沢栄一は、“日本資本主義の父”と呼ばれ、東京海上保険以外にも、日本最古の銀行である第一国立銀行(現・みずほ銀行)、東京瓦斯(ガス)、東京証券取引所、キリンビール、サッポロビール、東洋紡績、秩父鉄道、京阪電気鉄道、東京慈恵会、日本赤十字社、一橋大学、東京経済大学…といった様々な企業や学校の設立・経営に関わってきた人物。

約500もの企業の設立に関わり、約600もの教育機関・社会公共事業の支援を行ってきた(!)とされています。

深谷ネギで有名な埼玉県深谷市の生まれで、渋沢家は、藍玉の製造・養蚕・米・麦・野菜などを手掛ける豪農。
ちなみに深谷市では、渋沢氏の命月である11月が”渋沢栄一記念月間”に指定されるなど、現在でも地元でも愛されているようです。

栄一少年は、幼い頃から家業を手伝いながら、父・市郎右衛門から学問の手ほどきを受け、7歳になると下手計のいとこの尾高惇忠のもとへ論語をはじめとする学問を習いに通いました。

家業では、常に算盤をはじく商業的な才覚が求められ、また、14才になると単身で藍葉の仕入れに出かけるようになるなど、偉大なビジネスマンとしての素地を作っていくこととなります。

彼の著書『論語と算盤』は、あまりにも有名ですね。


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高崎城の乗っ取り計画を企てるなど、20代の頃には倒幕思想を抱いていた時期もあったようですが、1866年、渋沢氏が26才の時には、京都で一橋慶喜(後の江戸幕府15代将軍・徳川慶喜)に仕え、27才の時に、幕臣としてパリ万国博に派遣されます。

パリで欧州諸国の実情に触れた渋沢氏は、帰国後、日本で最初の合本(株式)組織「商法会所」を静岡に設立し、その後明治政府の大蔵省に仕官するこになります。

そして、大蔵省を辞めた後は、一民間経済人として株式会社組織による企業の創設・育成に力を入れ、様々な企業の設立や教育機関の支援に携わることとなってゆくのです。

渋沢栄一と東京海上設立

▶画像:現在の東京海上日動(旧:東京海上保険)本社ビル

 

東京海上保険は、当時、業績を伸ばしていた海運・貿易業に欠かせない海上保険会社を設立する動きがある中、渋沢栄一の提唱により設立されました。

経営陣には、頭取に蜂須賀茂韶氏、取締役に華族や三菱関係者、支配人に益田克徳氏、そして相談役として渋沢栄一氏と岩崎弥太郎氏を置きました。

社員数は、全体でも10人前後と小規模だったようです。

創業当初の取扱商品は貨物保険のみで、創業年1879年12月までに、釜山浦、上海、香港を含む18カ所に海外の代理店が置かれていきました。

また、1880年9月には、三井物産のロンドン・パリ・ニューヨークの各支店に欧米での代理店委嘱も行われ、1884年2月からは船舶保険の引き受けも開始しました。

渋沢栄一が晩年を過ごしたゆかりの場所

さて、ここからは、いよいよ『渋沢史料館』について紹介します。

今回私が訪れた渋沢史料館は、渋沢栄一の生涯と事績に関する資料を収蔵・展示した博物館です。
渋沢栄一の地元は、現在の埼玉県深谷市です。

そのため、テレビで取り上げられる“渋沢栄一ゆかりの地”は深谷市が多いのですが、この渋沢史料館が建てられた現在の飛鳥山公園の一角は、渋沢栄一の旧邸「曖依村荘」があった場所です。

かつて渋沢栄一が晩年を過ごした場所が、この土地なのです。

 

晩年の渋沢は、こんなにも素晴らしい景色に囲まれた場所で、いったいどんなことを考えて過ごしていたのでしょうか?

いざ、渋沢史料館へ

 

渋沢史料館の入場料は、一般300円、小中高生100円です。

300円で、渋沢史料館のすぐそばにある「青淵文庫(せいえんぶんこ)」と「晩香廬(ばんこうろ)」にも入場が可能です。※青淵文庫と晩香廬については、のちほど。

 

さすがに新1万円札に採用されることが発表された当日に行ったため、メディアの方が出入りしていたり、女子アナなんかも撮影に来ていました。

で、肝心の史料館内部ですが、ほとんどの場所がカメラ撮影禁止でした。

唯一撮れる場所は、2階のここ。
しかも、桜のシーズンだけだそうです。

なので、無料のパンフレットで少しでもイメージを。

 

渋沢史料館は、いわゆる普通の史料館ではありますが、渋沢は江戸~明治~大正~昭和という激変していく時代をまたにかけて生きた人物。彼に関連する書物やパネル展示を通しても、日本の近代化の様子が伝わってきました。

ちなみに保険業界に関わるものでは、「東京海上保険の決議」といったタイトルの史料も展示されていましたよ。

青淵文庫と晩香廬

 

渋沢史料館のそばには、「青淵文庫(せいえんぶんこ)」と「晩香廬(ばんこうろ)」という建物も残っています。

渋沢史料館の入場券があれば、どちらも無料で館内に入ることができます。

 

青淵文庫(せいえんぶんこ)

青淵文庫は、1925年、渋沢栄一の傘寿(80才)と子爵(ししゃく)に昇格したお祝いに、竜門社(現・公益財団法人 渋沢栄一記念財団)が贈呈した書庫です。

ステンドグラスや装飾タイルが美しい、立派な建物です。

内部は唯一撮れたのが、この1枚。

 

晩香廬(ばんこうろ)

晩香廬は、1917年、渋沢栄一の喜寿(77才)のお祝いに、清水組(現・清水建設)によって送られた洋風の茶室です。

内部は写真が撮れないので、パンフレットで。

 

近くには、渋沢栄一の記念像もありました。

渋沢史料館アクセス・営業時間

ということで、今回は、渋沢史料館についてご紹介させていただきました。

館内の写真撮影がNGの場所が多く、あまり雰囲気が伝えられないのが残念でしたが、きっとお客さんの来館が増えるにつれて色々な変化があるのではないか…と思っています。

飛鳥山公園の桜を楽しみながら渋沢史料館にも行ってみたい!…という方は、桜が満開の3月末頃がオススメです。

渋沢史料館

●住所:東京都北区西ヶ原2-16-1
●開館時間
【渋沢史料館本館】  10:00~17:00(入館は16:30まで)
【晩香廬・青淵文庫】 10:00~17:00(入館は16:30まで)
●休館日:
・月曜日(祝日・振替休日の場合は開館)
・祝日の代休(祝日・振替休日の後の最も近い火曜日~金曜日の1日)
・年末年始(12月28日~1月4日)
・その他臨時休館日
●アクセス:
・JR京浜東北線王子駅南口下車/徒歩約5分
・東京メトロ南北線西ヶ原駅下車/徒歩約7分
・都電荒川線飛鳥山停留所下車/徒歩約4分
・都バス飛鳥山停留所下車/徒歩約5分
・北区コミュニティバス飛鳥山公園停留所下車/徒歩約3分
・※駐車場はありませんので、公共の交通機関をご利用下さい。
●その他
・旧渋沢庭園は入園無料です。
*入園時間は、季節により変わります。
・3月~11月: 9:00より16:30まで
・12月~2月: 9:00より16:00まで

詳しくは、渋沢史料館のHPをご確認ください。