戦国武将・武田信玄さんの死因は、胃がん?
戦国時代の武将・武田信玄さんは、1573年、51才の時に胃がんで亡くなったと言われています。
数万人もの軍勢を率いて、”甲斐の虎”と呼ばれた最強の戦国武将でさえも勝てなかった癌(がん)という病気。
今回は、武田信玄さんの胃がん闘病にまつわるエピソードをご紹介します。
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戦国武将・武田信玄さんのプロフィール
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●生年月日:1521年12月1日(大永元年11月3日)
●出身地:甲斐国(現在の山梨県)
戦国武将・武田信玄さんの死因は、胃がんか?
武田さんは、1573年、51才の時、戦からの帰りの道中、病で亡くなったと言われています。
その死因は諸説あり、癌で亡くなったという説や、労咳(肺結核)で亡くなったという説もあります。
一方、癌や結核で亡くなったと言われる割には身体がふっくらしていると言われ、別の死因を指摘する研究者もいます。
もう約450年も前のことですので、その真相を確かめることはできません。
その上で、武田さんが胃がんで亡くなったと言われている根拠は、『甲陽軍艦』という書物にあります。
『甲陽軍艦』は、武田氏の戦略・戦術を記した軍学書で、武田信玄・勝頼期の合戦記事を中心に、軍法・刑法などが記されています。
この『甲陽軍艦』の中に、武田さんが”隔を煩い”という記述があります。
隔(かく)の病とは、胸とお腹の境・横隔膜あたりの病のことを指します。
また、武田さんが亡くなられたとき、葬儀の後、御宿監物(みしゅくけんもつ)という医者が送った書状の中に”肺肝に苦しみ、病患たちまち腹心に萌(きざ)して、安せざること切なり”と記されています。
ここで言う”肺肝”は、肝臓と肺臓を指すものではなく、胸と腹に苦悩があり、容態が急に悪化してしてしまった…という意味を指すようです。
病気の進行が早かったことや、”隔を煩い”という記述、そして結核の症状で苦しんだという記録も残っていないことから、武田さんは胃がんで亡くなったと診断された…伝えられています。
(参考:「病が語る日本史」/酒井シズ)
癌(がん)は大昔から存在した病気
“癌(がん)”という病気が、日本の国民病として、多く話題に上がるようになったのは、現代になってからです。
最近では、連日のように、芸能人・有名人の方のがん公表のニュースが増えていますが、おおよそ20~30年前までは、決してこのような状況ではありませんでした。
その理由は、日本人におけるがん患者の数自体が増えているからです。
実際、男女ともに、がんの罹患数(※)は1985年以降増加し続け、2012年のがん罹患数は1985年の約2.5倍。
※りかんすう…がんになることを「罹患する」と言います。
そして、現在、がん患者の方の数は、100万人を超えています。
がん患者数、増加の理由は?
では、なぜがんの患者の方が増加しているのでしょうか?
その主な原因は、”高齢化”によるものです。
がんは、年齢が高くなればなるほど、その罹患率が高まります。
平均寿命の年齢まで生存していた場合、がんの罹患率は2分の1というデータもあります。
つまり、長寿国の日本だからこそ、がんに罹患する人の数が増え続けているのです。
その一方で、癌という病気は、はるか大昔から存在してきた病気でもあります。
今よりも寿命が短く、飢餓や争い等もあり、現代ほど長生きができなかった時代は、癌にかかる可能性も今ほど高くはありませんでした。
また、医学が現代ほど発達する前は、仮に癌にかかっていたとしても、癌を発見したり、診断する術もなかったため、それほどクローズアップされてこなかったのです。
偉人や歴史の人物で、”癌で亡くなった”と伝えられている人物は決して多くはありません。
しかし、今回紹介した武田信玄さんのように、実は意外な歴史上の有名人も、癌という病と闘っていた可能性があるのです。
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