逸見政孝さんのがん告白会見から25年…安藤優子「25年経っても悲しい」
9日(木)、フジテレビで『直撃!シンソウ坂上「病名はガンです」衝撃会見から25年…逸見政孝さんの素顔』(21:00~21:54)が放送されました。
番組は、司会の坂上忍さんが、当時、逸見さんと『FNNスーパータイム』でコンビを組んでアナウンサーを務めていた安藤優子さんに、世間に衝撃を与えた“あの記者会見”の真相についてインタビューを実施。
逸見さんの生前、逸見さんを局内での“育ての親”と慕ってきた安藤さんは、当時の秘蔵映像などを振り返りながら、「25年経っても悲しい」と、現在も癒えないその胸中を告白しました。
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世間に衝撃を与えた!逸見政孝さんのがん告白の記者会見
逸見さんは、1993年12月25日、48才という若さで胃がんによって亡くなりました。
亡くなる3か月前、1993年の9月に行われた記者会見では、逸見さん自身からがん闘病していることを告白。
「私が今、侵されている病気の名前、病名は…ガンです」というショッキングな会見シーンは、日本中に衝撃を与えました。
当時、がんという病気は、現在よりも治療技術が進んでいなかったため“不治の病”というイメージが世間にあったこと。
当初、“完治する初期のがん”と言われていた病状が、実は、手遅れの状態であったことが発覚したこと。
そして、何より人気絶頂のテレビ司会者のがん告白に、世間は大きな衝撃を受けたのでした。
逸見政孝さんの経歴
●出身地:大阪府大阪市阿倍野区
●生年月日:1945年2月16日
●学歴:早稲田大学第一文学部
●所属事務所:オフィスいっつみい(現: 株式会社オフィスいつみ)
フジテレビアナウンサーとして
逸見さんは、大学卒業後の1968年、フジテレビに入社。
当初は、スポーツアナウンサーとして活躍し、プロボクシングやバレーボールなどの実況中継などを担当していました。
その後、スポーツ担当から報道に移り、『FNNテレビ土曜・日曜夕刊』(1976年)、『FNNニュースレポート6:30』(1978年)などのキャスターを務めるようになり、フジテレビの看板アナウンサーとしての地位を築いていきます。
フリーキャスターへ転身
人気キャスターとなった逸見さんは、1988年、20年務めたフジテレビを円満退職し、フリーキャスターへ転身。
1984年からメインキャスターを担当していた『FNNスーパータイム』は、コンビを組んでいた安藤優子さんの強い希望により、フリー転身後も1年間キャスターを続けました。
そして、フリー転身後は、人気バラエティ番組の司会を数多く担当し、『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』、『夜も一生けんめい。』、『たけし・逸見の平成教育委員会』に出演し、お茶の間の人気者としてその地位を不動のものとします。
また、逸見さんは当時から個性的な芸人だったタモリ・ビートたけし・明石家さんまの“BIG3”を仕切ることが出来る司会者として、芸能人や業界関係者からも厚い信頼を獲得していました。
逸見政孝さん以外にも、がん闘病した有名人
逸見さんが闘病したがんは、現在、2人に1人の割合でかかり、3人に1人の割合で亡くなるとされています。
そして、芸能界でも、これまで多くの方が、がん闘病を経験してきました。
今年2018年だけでも、EXILEファミリ―・FANTASTICSの中尾翔太さんが逸見さんと同じ胃がんで亡くなり、他にも元劇団四季代表の浅利慶太さん、ジブリ映画監督の高畑勲さん、スポーツ界では、星野仙一さんや衣笠祥雄さん等、多くの著名人たちが がんによって亡くなっています。
また、逸見さんやFANTASTICSの中尾翔太さんが闘病した胃がんは、これまで、手塚治虫さん、宮川花子さん、宮迫博之さん、市村正親さん、佐久間正英さん(2014年逝去)などが闘病をしています。
もはや他人事ではない国民病となった“がん”について、自分自身や家族のために、今一度、考える機会を持つことが必要となりそうです。
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