「保険の殿堂」とは?日本人の受賞者まとめ

 

「保険の殿堂」をご存知でしょうか?

数年に1度、保険業界のニュースとしてその受賞者が取り上げられることはあるものの、

そもそも「保険の殿堂」がどのような賞で、これまでどんな人が受賞してきたのか?…知らない方も多いのではないでしょうか?

そこで、今回は
1.保険の殿堂について
2.過去に保険の殿堂入り果たした人物
について紹介します!

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1.保険の殿堂とは?

「保険の殿堂」は、全世界を対象として、保険事業の発展のために理論・ 実践面で長い期間に渡って革新的・創造的貢献をしたと認められる人物に授与されるものです。

1957年、アメリカにあるアラバマ大学名誉教授のジョン・S・ビックリー(John S. Bickley)博士によって創設されました。

アラバマ大学は、1831年に設立されたアラバマ州最初の公立大学で、現在ではアメリカン・フットボールの強豪として知られる学校ですが、経済学やジャーナリズムの分野でも高い評価を受けている権威ある大学です。

画像:アラバマ大学(wikipediaより)

 

そして現在では、国際保険会議(The International Insurance Society, Inc. 通称「IIS」)が、その運営を行っています。

IISは、1965年、保険情報交換のためのセミナー・研究活動等のための非営利団体として設立されました。

そして、「保険の殿堂」となる人物は、毎年2名と故人1名の計3名が、IISの会員の投票によって選出されています。

 

日本においては、「保険の殿堂」が設立されてから63年の間に、これまで計11名の保険業界人が選出されています。

2.過去に保険の殿堂入りを果たした日本人まとめ

以下は、「保険の殿堂」に選出されている日本の保険業界人です。

2020年現在、「保険の殿堂」には、生命保険業界、損害保険業界合わせて11名の人物が選出されています。

どこかで見たことあるような名前、全然聞いたこともない名前…いろいろな人物がいると思いますが、誰もが保険業界に大きな貢献を果たした残した偉人たちです。

尚、日本で最初に保険の殿堂入りを果たした人物は、東京海上の立て直しに尽力し“損保業界の父”とも呼ばれた各務鎌吉氏と、第一生命保険創業者で生命保険業界の礎を築いた矢野恒太氏の2名。

殿堂入りした1970年当時は、両名ともすでに故人でしたが、日本の経済復興・成長とともに躍進を続ける保険業界の礎を築き上げた人物としての功績を称えられ殿堂入りを果たしました。

(1)各務鎌吉 / 殿堂入り:1970年

画像:wikipediaより

 

名前各務鎌吉/かがみ けんきち(1869年~1939年)
最終学歴東京高等商業学校 (現:一橋大学) 卒業
略歴●1891年、東京海上保険株式会社 入社。

●専務を経て、大正14年(1925年)取締役会長や、明治火災保険会長、三菱海上火災保険会長を歴任。

●昭和2年(1927年)三菱信託を創設し初代会長となる。1929年(昭和4年)に日本郵船社長、1935年(昭和10年)日本郵船会長、三菱社(三菱本社)取締役など三菱財閥系企業各社の要職も歴任。

功績●当時、苦境にあった東京海上保険の再建のヒントを求め、保険先進国のイギリス・ロンドンへ渡り、保険業務の研究を行いました。そして「現計計算」から「年度別計算」への移行を進め、見事に業績回復を実現。東京海上火災を国際的な企業へと発展させていきました。

●また、日本火災保険協会・日本海上保険協会・船舶保険協同会(現日本損害保険協会)などの結成に尽力。

●関東大震災(1923年)においては、大日本連合火災保険協会の会長として、利害の異なる関東・関西・外資系などの保険会社との様々な意見を取りまとめ政府と折衝。
本来であれば地震による火災は免責となるものですが、社会的役割を担う保険会社として、保険金額の最高一割を見舞金として支払い、その見舞金の原資は、政府が助成金によって長期低利で融資する…という取り決めに至り、その奮闘ぶりは当時特に高く評価されました。

●1930年には貴族院勅選議員となり、内閣審議会委員をつとめたほか,日本銀行参与、大蔵省顧問なども歴任しました。

参考書籍

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(1)矢野恒太 / 殿堂入り:1970年

画像:第一生命ホームページより

名前矢野 恒太(やの つねた)/1866年~1951年

(3)弘世 現 / 殿堂入り:1976年

画像:「私の生命保険昭和史」より

名前弘世 現/ひろせ げん(1904年~1996年)
最終学歴東京帝国大学(現:東京大学) 経済学部 卒業
略歴●実業家・成瀬隆蔵氏の六男として東京市麴町区に生まれた現氏は、東京帝国大学を経て、1928年、三井物産に入社。

●日本生命の“中興の祖”と呼ばれた3代目社長・弘世助太郎の三女と結婚し、旧彦根藩の御用商人であった弘世家に婿入り。成瀬から弘世“姓”となります。

●1944年、16年務めた三井物産から、日本生命の取締役に就任。常務を務めた1947年、同社は相互会社化。「本来のあるべき姿に立ち返り、断然相互会社とすべきとの決意を固めた」と述べ、同社の終戦からの再出発を支えました。

●1948年、44歳の時、同社の5代目社長に就任すると、1982年まで35年間に渡ってその職を務めました。

●1963年には、劇団四季代表の浅利慶太氏や石原慎太郎のスポンサーとして、日生劇場の建設を実現。日生劇場は、昭和時代を代表する建築物となりました。

●1974年、勲一等瑞宝章受章。1983年~1996年は、松下幸之助の後任として伊勢神宮崇敬会第4代会長を務めました。

●長男は、日本生命元常務を務めた弘源太郎氏。

参考書籍

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(4)阿部泰蔵 / 殿堂入り:1978年

画像:明治安田生命ホームページより

名前阿部 泰蔵(あべ たいぞう)/1849年~10月22日

(5)村瀬春雄 / 殿堂入り:1982年

名前村瀬春雄/むらせはるお(1871年~1924年)
最終学歴東京高商(現一橋大学)教 商学士 法学博士
略歴●東京高商(現一橋大学)を中退し、ベルギーへ留学し商学士を取得すると、さらにドイツ、フランスなどにも留学。帰国後は、若干23歳で東京高等商業学校(現一橋大学)教授となり、日本で初めて海上保険の講義を行いました。

●1895年、学識を買われ帝国海上保険(現損害保険ジャパン日本興亜)副支配人に就任すると、1912年には、帝国海上保険(大正火災海上・三井火災海上保険の前身)の副社長に就任。そのかたわらでも、東京高商の講師として「保険」・「海運」の講義を行いました。

●研究においては、保険実務と学問を融合させた「日本の海上保険学の祖」とされています。

●没後、その功績が称えられ、1964年に一橋大学経済研究所東に胸像が設置されています。

 

(6)門野幾之進 / 殿堂入り:1983年

画像:wikipediaより

名前門野 幾之進(かどの いくしん)/1856年~1938年
略歴●鳥羽藩の貢進生として慶應義塾に入り福沢諭吉の謦咳に接す。4年より同塾にて教鞭をとり16年には同塾教頭、35年に副社頭、臨時塾長事務をつとめるとともに、『時事新報』に社説を執筆、交詢社の発展に力をつくす。

●鳥羽藩(三重県鳥羽市)の出身だった門野幾之進氏は、鳥羽藩の貢進生として、わずか13歳で福沢諭吉の門下生として慶應義塾に入門。そして、15歳には同塾の教師となり、その後30年以上に渡って教鞭をとりました。

●教師のかたわらで、福澤諭吉の手により創刊され戦前の五大新聞の一つでもあった『時事新報』に社説を執筆。福澤諭吉が提唱し、結成された日本最初の実業家社交クラブ・交詢社の発展にも貢献しました。

●その後実業界入りし、1904年(明治37年)、明治安田生命の設立者・阿部泰蔵氏たちとともに、千代田生命保険(現:ジブラルタ生命)を創立。当時、千代田生命は、日本初の英米相互組織として設立されました。さらに、千代田火災保険(現:あいおいニッセイ同和損保)、千歳火災海上保険の社長もつとめました。

●1932年(昭和7年)には、貴族院議員に勅選されました。

 

(7)川井三郎 / 殿堂入り:1997年

画像:OLISホームページより

名前川井 三郎(かわい さぶろう)/1908年~1998年
学歴東北帝国大学(東北大学) 理学部数学科 卒業
略歴●1935年、生命保険協会からアクチュアリー(保険数理専門官)として「協栄生命保険再保険株式会社」へ出向。

協栄生命保険再保険株式会社は、当時、生命保険会社の各社が販売した弱体保険を再保険する再保険会社として創設の構想が上がったものです。

ちなみに“弱体保険”とは、簡単に言えば、標準体での引き受けを断られた者を被保険者の対象とする保険のことで、「標準下体保険」のことです。

矢野恒太氏が設立準備員のトップ、弘世現氏の義父であった弘世助太郎が創立委員長を務め、1935年に設立されました。

●1945年、協栄生命保険再保険株式会社は、国策によって設立された「生命保険中央会」によって吸収され、川井三郎は生命保険中央会の理事を務めました。

●1947年、協栄生命再保険の解散にともない、「協栄生命保険株式会社」(現:ジブラルタ生命保険株式会社)を設立。

協栄生命保険株式会社は、終戦後、閉鎖機関に指定されて解散することとなった生命保険中央会の保有契約引き受けと残務処理機関として設立された背景があり、川井氏は会社の再建に奔走。翌年1948年には、社長に就任しました。

●1973年に協栄生命保険の会長に就任すると、1984年に取締役名誉会長、1992年には名誉会長となりました。

●1990年、母校である東北大学に数理科学記念館を寄贈。この記念館は、“川井ホール”と呼ばれています。

●1997年、アクチュアリーとしての功績・日本で唯一の再保険業務・個人年金保険などの開発によって業績を伸ばした功績などが称えられ、保険の殿堂入りを果たしました。

 

(8)伊藤助成 / 殿堂入り:2001年

画像:日刊工業新聞より

名前伊藤 助成(いとう じょせい)/1929年~2005年
学歴一橋大学 経済学部 卒業
略歴●1953年、日本生命に入社し。人事課へ配属されます。

●入社10年目には、日本興業銀行での審査技術研修生に選ばれ、実際に審査課に席を置いて企業調査ノウハウを身に付けると、銀行保証に頼らない、日本生命の自前による融資していく道を開拓。融資課の課長として、生命保険会社では初めて個人向け住宅ローンを開発するなど多くの改革を行いました。

●1970年代後半から1981年までは、資産運用部門を担当し、海外への投融資拡大に力を注ぎました。そして、1981年に取締役に就任すると、1984年に常務へ。1986年には常務として営業激戦地区の首都圏を束ねる営業本部長に就任。

●そして、専務(1987年)、副社長(1988年)の役職を経て、1989年、日本生命第7代社長に就任。米国やアジアへの積極的な展開拡大を推進し、銀行業、証券業への進出を試みました。その後、バブル崩壊による株価低迷などにより頓挫しましたが、その後の不良資産の処理も業界でいちはやく行い話題となりました。

●1995年には、生命保険業界の業況悪化により、第一火災海上保険との協力関係を整理。

また、同年には、2度目の生命保険協会の会長へ就任し、生命保険業界からも出資が多かった住宅金融専門会社の処理にあたりました。

さらに、生命保険業界出身者としては初めて経団連副会長を務め大きな話題となりました。

 

 

(9)井口武雄 / 殿堂入り:2004年

画像:一般社団法人日本ベトナム経済フォーラムより

名前井口 武雄 /いのくち たけお(1942年~)
略歴●1965年、三井住友海上火災保険(旧大正海上火災保険)に入社。取締役、常務を経て1996年、社長に就任。2000年、最高経営責任者(CEO)取締役会長・取締役社長。

●2001年、国内最大の損害保険会社「三井住友海上火災保険」が誕生。井口氏は、三井海上と住友海上との経営統合を推し進めた功労者として、取締役会長共同最高経営責任者に就任。

●2007年、三井住友海上火災保険のシニアアドバイザーに就任。

●現在、三井住友海上名誉顧問。また、地元長野県伊那市のふるさと大使、一般社団法人日本ベトナム経済フォーラム会長兼代表理事を務める。

著書「経営判断ケースブック―取締役のグッドガバナンスの実践」をAmazonで購入する

(10)宇野郁夫 / 殿堂入り:2012年

画像:プレジデントより

名前宇野 郁夫(うの いくお)/1935年~
学歴東京大学 法学部 卒業
略歴●1959年、日本生命保険相互会社入社。1976年、イギリスへの海外派遣期間を経て、企業保険業務課長・法人企画課長・取締役人事部長・常務取締役・国際金融本部長・専務取締役を歴任。

●1997年、代表取締役社長に就任。2000年前後、相次いで生命保険会社が破綻した“生保危機”に際し、徹底的に財務基盤を強化し、その危機を乗り越えました。

●2000年、そして、2004年の2度に渡り、生命保険協会会長を務めました。

●2010年、日本生命保険相互会社 相談役に就任。

●2012年、宇野氏が77歳のとき、保険の殿堂入り。

IISは、その受賞理由を“お客様に対する長期に亘る保障責任を全うすることを経営哲学として、一貫して長期的視野に立った持続性ある経営を追求し、個社および業界としての取組の中で実践してきたことが生命保険業界あへの貢献が高いと認められたことによる”とコメントしました。

●2020年現在、日本生命保険相互会社 名誉顧問。

 

 

(11)隅修三 / 殿堂入り:2018

名前隅 修三(すみ しゅうぞう)/1947年~
最終学歴早稲田大学 理工学部 卒業

 

 

今回は、保険業界の偉人たちその名を連ねる「保険の殿堂」について紹介しました。

保険会社は、明治維新から始まり、幾多の困難を乗り越えながら、そしてあらゆる人々の幾多の困難を支えてきた確かな歴史を持つ組織です。

私たちが働く保険業界では、令和の時代も様々な困難がありますが、過去の偉人たちにも想いを馳せながら、あらたな保険の時代を切り開いていこうではありませんか!