音無美紀子さん、乳がん・うつ…闘病乗り越え現在は?

女優の音無美紀子さん(70)は、1988年、音無さんが39歳のときに乳がんが発覚しました。

音無美紀子さんと言えば、TBSのホームドラマに数多く起用され、『ありがとう』など石井ふく子プロデュースのドラマにも常連役者として出演してきた日本を代表する大女優です。

夫は、俳優の村井国夫さん。最近では、夫婦でテレビ番組に出演する機会も多く“おしどり夫婦”としても知られています。

そんな音無美紀子さんが夫ともに乗り越えてきた乳がん・うつ病の闘病経緯、そして、気になる現在の容態は?

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乳がん闘病した音無美紀子さんのプロフィール

 

●生年月日:1949年12月26日
●出身地:東京都
●血液型:B型
●最終学歴:頌栄女子学院高校
●趣味:モダンダンス、ギター、料理、日舞、茶道、華道
●所属事務所:オフィスいのり
●主な出演作品:
【映画】
・「寅次郎・紙風船」
・「その男凶暴につき」
・「沈まぬ太陽」

【ドラマ】
・「お登勢」
・「ありがとう」
・「おんな太閤記」
・「はるちゃん」
…等

乳がん闘病した音無美紀子さんの経歴


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音無美紀子さんは、頌栄(しょうえい)女子学院高校の学生だった頃、幼なじみだった俳優・地井武男さんのススメによって「劇団若草」に入団しました。

そして、翌年、17歳のときに学園ドラマ『これが青春だ』で女優デビューを果たします。

1971年、『お登勢』(TBS)の主演女優に抜擢されると、TBSホームドラマや石井ふく子プロデュースのドラマに常連役者として出演するようになりました。

1975年、俳優の村井国夫さんと結婚し、その後、一男一女にめぐまれます。

音無美紀子さんの乳がん闘病の経緯


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音無美紀子さんは、今からもう32年も前、1988年、音無さんが39歳のときに乳がんが発覚しました。

そのきっかけは、音無さんがお風呂に入っていた際、左の乳房に小さなしこりがあることに気がついたことが最初でした。

夫の村井国夫さんのすすめで産婦人科で診察を受け、さらに詳しい検査を受けるために大学病院への紹介状をもらったといいます。

 

しかし、音無さんは、“まさか、私ががんになるはずがない”と考え、そのまま放っておいてしまったそうです。

 

そして、2か月後、夫の村井さんとゴルフを楽しんだ翌日、左腕を上げた際、胸に強い痛みを感じた音無さん。

大学病院で検査を受け、乳がんとの診断を受けたのです。

告知を受けた直後、音無さんは、動揺によってしばらく立ち上がれなかったといいます。

 

音無さんは、当初、乳房を残す温存手術を望んでいましたが、再発のリスクがあったため、左乳房・胸の筋肉・脇の下のリンパ節までを切除する全摘手術を受けることになりました。

入院中は、“何でわたしは元気じゃないんだろう?という、世の中から取り残されてるっていう思いがある”という想いだったといいます。

そして、手術は無事に終わったものの、“さらなる試練”が音無さんを襲います…

 

音無美紀子さんの乳がん手術後、うつ病に…


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音無美紀子さんは、「強がりだった」と乳がん闘病の当時を振り返っています。

音無さんは、他人から“同情されたくない”という気持ちから、癌(がん)のことは周囲に明かさなかったといいます。

しかし、このことが一因となり、心を閉ざしてしまったそうです。

 

さらに、手術後の抗がん剤治療では、抗がん剤を点滴で入れると血管から抗がん剤が漏れ出すことによって腕が腫れ上がってしまい、女優として復帰できないかもしれない…というプレッシャーの毎日だったといいます。

そして、身体のこと・それを隠すための着るもの…といった日常生活の些細なことから、子供たち・夫・自身の将来のことなど、様々な不安とストレスから、音無さんはうつ病の診断を受けてしまいます。

 

当時、幼稚園の年長と2歳のお子さん2人を抱えていた音無さん。

眠れない夜が続き、子どものお弁当を作れなくなったり、買い物でも何を買ったら良いか判断できない…といったこともあり、次第に「死にたい」と思うようになったことを後に明かしています。

音無美紀子さんの乳がん・うつ病を支えたのは、夫・村井国夫さん


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音無美紀子さんの乳がん闘病、うつ病を支えたのは、夫の村井国夫さんでした。

 

村井さんは、「死にたい」と考えるようになっていた音無美紀子さんに対して、

死んでもいいよ。

でも、もう1年だけ生きてほしい。

子供たちがまだ小さい。1年間くれたら君から家事を覚える。

と言ったといいます。

 

この言葉で、音無さんは、我に返ることができ、“私、生きなきゃ”と思うようになったことテレビ番組などでも明かしています。

 

音無美紀子さんの乳がん・うつ病乗り越え、現在は?

2020年3月現在、音無美紀子さんは、なんと70歳!

乳がんの発覚から32年が経過していますが、その後、再発などもないようです。

 

乳がん、うつ病を克服した音無美紀子さんは、その後、女優活動を再開。

そして、女優活動のかたわらで、乳がん闘病の経験を活かした講演活動なども行っています。

 

また、2011年には、東日本大震災支援活動として「音無美紀子の歌声喫茶」を立ち上げ、被災地でのチャリティライブによる支援活動を行っています。

この活動は現在10年目を迎え、歌を通して、生きることの喜びを伝える活動を続けています。

 

(画像:音無美紀子の歌声喫茶ホームページより)