芸能人・有名人の癌(がん)闘病記の書籍まとめ ③
芸能人や有名人の癌(がん)闘病記は、同じ病気と闘う患者さんやそのご家族にとって、ときに大きな心の支えや励みとなります。
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目次
(10)悪性リンパ腫闘病した芸能人の癌(がん)闘病記
SOPHIA・都啓一さんの悪性リンパ腫闘病を記した書籍
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ロックバンド・SOPHIA(ソフィア)のキーボーティスト、都啓一(みやこ けいいち)さんは、2010年、悪性リンパ腫の一種である「濾胞性リンパ腫」を発症します。
都さんが在籍しているSOPHIAと言えば、1995年にメジャーデビューし、1997年にリリースされた『街』が大ヒット。デビュー3年目で武道館ライブを成功させるなど、当時流行していたビジュアル系バンドの中でも中心的なポジションに位置しているカリスマ的なバンドでした。
抗がん剤の治療は、髪の毛の脱毛や手足のしびれ味覚障害など、副作用との闘いだったそうです。
しかし、闘病中は、奥さんである歌手の久宝留理子の支えもありながら、また、学生時代からの親友であるバンドメンバーの支えによって病を乗り越えた都さん。
がんの進行度合いがもっとも進んだ状態を意味する「ステージ4」のがんを宣告されながらも、奇跡的な復活を遂げたそのエピソードとは?
(11)脳腫瘍闘病した芸能人の癌(がん)闘病記
広島カープ・津田恒美さんの脳腫瘍闘病を記した書籍
▶「最後のストライク―津田恒美と生きた2年3カ月 (幻冬舎文庫)」
プロ野球選手の津田恒美さんは、悪性脳腫瘍により、1993年、32歳という若さで亡くなりました。
津田選手と言えば、“炎のストッパー”と呼ばれ、広島東洋カープの抑え投手としてリーグ優勝などに貢献。
現役生活10年の中でオールスターゲームに5回も出場するなど、1980年代の強いカープを象徴する選手の1人として活躍しました。
2000年には、津田選手の奥さん・晃代さんによる著書『最後のストライク』が、岸谷五朗さん主演でドラマ化もされ、プロ野球ファン以外の多くの人に津田選手の名前を知られることとなりました。
2012年には、野球界の発展に大きく貢献した人物を称える「野球殿堂」入りを果たしたり、津田選手の地元・山口県周南市の野球場が「津田恒実メモリアルスタジアム」と名付けられるなど、いかに津田選手が野球界関係者、ファンに愛された選手だったかが伺えます。
プロ野球選手・盛田幸妃さんの脳腫瘍闘病を記した書籍
プロ野球選手の盛田幸妃さんは、転移性悪性腺腫により、2015年、45歳という若さで亡くなりました。
現役時代、盛田幸妃選手は、横浜ベイスターズ(入団当時は、大洋ホエールズ)や近鉄バッファローズに在籍し、抑えのストッパー投手として活躍しました。
横浜時代には、あの大魔神こと佐々木主浩投手とのダブルストッパーとして活躍し、1992年には、最優秀防御率のタイトルも獲得します。
そんな盛田選手に、後にがんの原因となる脳腫瘍が発覚したのは、まだまだ現役時代の1998年、27歳の時。
その後、大病を克服し、再びマウンドに戻り活躍を果たす盛田さんを支えたのは奥様・倫子さんの存在でした。
(12)白血病闘病した芸能人の癌(がん)闘病記
吉井怜さんの急性骨髄性白血病の闘病を記した書籍
▶「神様、何するの…―白血病と闘ったアイドルの手記」をAmazonで購入する
女優の吉井怜さんは、2000年、18歳のとき、グラビアの撮影中に高熱を発症し、急性骨髄性白血病に患っていることが発覚しました。
吉井怜さんは、90年代後半、人気グラビアタレントとして活躍し、当時のグラビアアイドルブームを支えてきました。
当時、まだ10代だった吉井さんは、病院の先生や看護婦さんの前では冷静を保ち“良い子”でいたそうですが、そのストレスを母親にぶつけてしまうことなどもあったそうです。
10代の女の子の赤裸々ながん闘病生活を記した「神様、何するの…―白血病と闘ったアイドルの手記」は、当時のベストセラーとなりました。
大塚範一さんの急性白血病闘病を記した書籍
アナウンサーの大塚範一さんは、2011年、63歳の時に急性白血病を発症しました。
大塚範一さんと言えば、『めざましテレビ』(フジテレビ)のメインキャスターとして、“朝の顔”として長年に渡って活躍されてきた人物。
抗がん剤治療などにより、2012年の秋頃に医師から“寛解”を告げられていた大塚さん。
退院し、2013年2月放送の『めざましテレビ』に約1年ぶりに生出演で復帰を果たすと、その際、新番組のレギュラー出演も発表されました。
しかし、その矢先、大塚さんの白血病は再発してしまいます。
Jリーグ アルビレックス新潟・早川史哉選手の急性白血病闘病を記した書籍
▶「そして歩き出す サッカーと白血病と僕の日常」をAmazonで購入する
Jリーガーの早川史哉選手は、2016年春、22才の時に急性白血病と診断されました。
早川選手は、2016年、筑波大学のサッカー部を経て、Jリーグ1部のアルビレックス新潟に入団。
2016年2月に行われたJ1の開幕ゲームから、いきなりフル出場でのデビューを飾ります。
期待の大型新人として、順風満帆なデビューシーズンを迎えた早川選手ですたが、なんと、その2か月後の2016年4月、急性白血病の診断を受けたのです。
早川選手の所属するアルビレックス新潟は、早川選手の大病が発覚後の2016年8月、支援基金を設立するなど、チームとしても彼の復帰をバックアップ。
そして、2019年10月、ついに3年7ヵ月ぶりに公式戦の試合に復帰したのです。
プロ選手としての輝かしいデビューから一転、挫折に追い込まれ、そして復帰を果たすまでの早川選手の苦悩や心情を明かした著書です。
カンニング中島忠幸の急性リンパ性白血病闘病を記した書籍
▶「家族のたからもの―夫・カンニング中島が遺した最期の日記」をAmazonで購入する
お笑いコンビ「カンニング」の中島忠幸さん(享年35歳)は、2006年12月20日、急性リンパ性白血病によりこの世を去りました。
カンニングと言えば、“キレ芸”で有名な竹山隆範さん(48)と、その竹山さんをなだめる相方・中島忠幸さんのコンビとして知られていました。
約2年間にわたる白血病との闘いを記録した中島忠幸さんの闘病記「家族のたからもの―夫・カンニング中島が遺した最期の日記」は、カンニング中島さんのブレイクを影で支えた奥さん・中島真奈美さんよる著書。
相方の竹山さんと中島さんとの熱い友情、中島さんのご家族への想いが記されています。
(13)舌がん闘病した芸能人の癌(がん)闘病記
堀ちえみさんの舌がん闘病を記した書籍
▶「Stage For~ 舌がん「ステージ4」から希望のステージへ 」をAmazonで購入する
タレントの堀ちえみさんは、2019年2月、自身のブログでステージ4の舌がんを患っていることを公表しました。
堀ちえみさんと言えば、1980年代にアイドルとして歌やドラマに活躍。
主人公を演じたドラマ『スチュワーデス物語』(1983)をきっかけにブレイクし、劇中での“ドジでノロマな亀”というセリフは当時の流行語も獲得しました。
堀ちえみさんは、6割以上を切除する大手術を受け、つらい痛みやリハビリを乗り越えた矢先、今度は食道がんが発覚してしまいます。
本書では、苦悩や葛藤を抱えながらも、家族の愛に支えられてきた闘病生活の心境が語られています。
(14)骨肉腫闘病した芸能人の癌(がん)闘病記
パラアスリート・谷真海選手の骨肉腫闘病を記した書籍
▶「ラッキーガール (集英社文庫) 」をAmazonで購入する
谷真海さんの骨肉腫が発覚したのは、大学2年生、19才の時でした。
幼い頃から身体を動かすことが大好きだったと言う谷さんは、小学生時代は水泳、中学生時代には陸上部、そして、早稲田大学ではチアリーディング部に入部します。
しかし、2001年、大学生2年生の秋、谷さんは、右足首に痛みが発症。
検査の結果、骨のがん=「骨肉腫」(こつにくしゅ)と診断されました。
医師から「すべての治療がうまくいっても右足の膝から下は残せないでしょう」と告げられた谷さん。
スポーツが生きがいだった彼女にとって、将来が見えなくなったと言います。
右足膝以下の切断を迫られた谷さんの心境、パラスポーツ選手への道へと進んだ彼女の想い、そして自らを“ラッキーガール”と言う理由とは?
(15)小児がん闘病した芸能人の癌(がん)闘病記
花やしき少女歌劇団・木村唯さんの小児がん闘病を記した書籍
▶「生きて、もっと歌いたい 片足のアイドル・木村唯さん、18年の軌跡」
アイドルとして活動をしていた木村唯さんは、2015年10月14日、18才という若さでこの世を去りました。
木村唯さんは、浅草にある遊園地・浅草花やしきで公演を行うアイドル「花やしき少女歌劇団」のメンバーの一員として活躍しました。
木村唯さんが、がんを発症したのは2012年。
木村さんが、ちょうど15才の誕生日を迎える中学生3年生の8月のことでした。
がんの転移を防ぐため右足の切断手術を受けるか?抗がん剤治療を続けて少ない余命を送るか?…医師から決断を迫られることとなります。
「生きて、もっと歌いたい 」…そう決断した、木村さんは、右足の切断手術を受けました。
そして、片足を失っても笑顔でステージに立つ木村さんの姿は、多くの感動と勇気を与えました。
彼女の生きる原動力となったものとは?
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