やなせたかしさん膀胱がん闘病の経緯…10度の再発乗り越え

やなせたかしさんは、2013年10月、心不全のため94才でこの世を去りました。

やなせたかしさんと言えば、『アンパンマン』の生みの親として知られる漫画家、絵本作家です。

『手のひらを太陽に』など歌の作詞なども多く手掛け、その優しく勇気溢れる言葉やストーリーは、日本中の多くの人たちから支持されてきました。

そんなやなせさんも、がん闘病を経験した有名人のひとりです。

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やなせたかしさんのプロフィール


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●生年月日:1919年2月6日
●出身地:高知県香美市香北町(生まれは、東京府北豊島郡滝野川町/現:東京都北区)
●東京高等工芸学校図案科(現千葉大学工学部)卒。

やなせさんは、戦後、1946年に高知新聞に入社。『月刊高知』編集部で、編集の傍ら文章・漫画・表紙絵などを手掛けていました。その後、東京へ引越し、デパートの三越に入社。グラフィックデザイナーとしての活動のかたわら漫画家としての活動を行い、1953年、36才のときに三越を退社。フリーの漫画家となりました。

漫画家だけでなく、舞台美術の制作なども行っていたやなせさんは、1960年、永六輔作さん演出のミュージカル『見上げてごらん夜の星を』の舞台美術を手掛けた際、作曲家・いずみたくさんと知り合います。

そして、この出会いがきっかけとなり、翌1961年『手のひらを太陽に』(作詞:やなせたかし、作曲:いずみたく)が誕生。この曲は、のちに学校の音楽の教科書に載るほど有名な作品となりました。


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1969年、PHP誌に連載されていた読み物『こどもの絵本』(十ニの真珠)で、初めて”アンパンマン”の原型が登場すると、1973年、フレーベル館の月刊絵本として「あんぱんまん」を発表。

1988年にテレビアニメ『それいけ!アンパンマン』の放送が開始すると、たちまちアンパンマンは子供たちの人気を獲得することになりました。


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やなせたかしさんのがん闘病の経緯

やなせさんは、”病気のデパート”とも言えるほど多くの病気と闘いながらお仕事をされてきた人物として知られています。

60代の後半は腎臓結石、70代では白内障・心臓病、80代のときには膵臓炎・ヘルニア・緑内障・腸閉塞・腎臓がん・膀胱がん、90代には腸閉塞や心臓病の再発・肺炎…と大きな病気を次々と発症しています。

もちろん、高齢であればあるほど病気のリスクは高まるものですが、特に膀胱がんについては、10回以上の再発を経験されているようです。

 

やなせさんが癌を初めてがんの診断を受けたのは、2005年、66才のときでした。

発見のきっかけは、大学病院で尿検査をした際に異常が確認されたことでした。

泌尿器科でのエコー検査の結果、腫瘍が見つかり、腎臓の摘出手術を行います。

 

腎臓がんの手術は無事に成功しましたが、しかし、そのすぐあと、今度は、膀胱にがんが見つかります。

10個ほどの腫瘍は、内視鏡手術によって摘出しましたが、その2か月後、再発。

膀胱がんは、その後も10回以上も再発し、内視鏡だけでなく、放射線治療やBCG注入療法を併用し治療も行ったそうです。

 


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やなせさんは、数多くの大病を乗り越えながらも仕事を続け、2012年には、『93歳・現役漫画家。病気だらけをいっそ楽しむ50の長寿法」(2012年)という書籍まで発表するほど。

2013年8月に体調を崩し、10月13日に心不全によって94才でこの世を去ったやなせさん。

体調を崩して入院する1か月前の7月、アンパンマンの映画舞台挨拶に登壇したやなせさんは、「死ぬ時は死ぬんだよ。笑いながら死ぬんだよ。そうすれば映画の宣伝になる。死ぬまで一生懸命やるんだよ」と笑いを交えながら話していました。

 

 

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