芸能リポーター・梨元勝さんの肺がん闘病の経緯

芸能リポーターの梨元勝さんは、2010年8月、65才のときに肺がんによってこの世を去りました。

梨元勝さんと言えば「恐縮です」のフレーズでお馴染みの日本を代表する芸能リポーター。

これまで数々のスキャンダルやスクープを取材し続け、”芸能リポーター”という仕事を有名にしたのもこの梨元さん自身でした。

今回は、梨本勝さんの肺がん闘病の経緯について紹介します。

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梨元勝さんのプロフィール


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●血液型:A型
●生年月日:昭和19年12月1日
●出身地:東京都中野区生
●最終学歴:法政大学 社会学部 卒業(昭和43年3月)
●趣味:ウォーキング、海外旅行、クルージング
●経歴:
・昭和43年4月、講談社「ヤングレディ」取材記者
・昭和51年4月、テレビ朝日「アフタヌーンショー」リポーター
・昭和5年7月、株式会社 オフィス梨元 設立
・昭和63年4月、テレビ朝日「やじうまワイド」「スーパーモーニング」 リポーター・コメンテーター
・平成12年4月、芸能リポーターとしては初めての客員教授として北海道・函館大学に就任
・平成14年4月、飛騨高山らーめんのキャラクターとなり”恐縮らーめん”を通信販売にて全国発売(発売元;板蔵)

引用元:オフィス梨元

梨元勝さんの肺がん闘病の経緯

笑顔で快活なイメージのある梨元さんですが、意外にも病気が多く、肺炎・腎臓病・拡張型心筋症など…過去には11回もの入院生活を繰り返していました。

そんな梨元さんにがんが発覚したのは、2010年4月中旬、梨元さんが65才のときでした。

空咳が出るために検査を行ったところ、右の肺にがんが見つかりました。

その後、6月7日に自身のツイッターでがんを公表すると、6月14日から抗がん剤治療を開始しました。

しかし、プロフェッショナルとしての意識が強かった梨元さんは、病床でも仕事をしていました。

病室にパソコンやFAXを持ち込み、取材の打ち合わせやニュースの配信を行っていたのです。

そして、”ナシモトニュース”は、梨元さんが亡くなる8月21日の前日まで配信されました。

世間からのバッシング…リポーターを辞めることも考えた

芸能リポーターという仕事柄、世間からのバッシングも多く「なんでこんな仕事をしているのかと思ったこともあった」と明かしたのは娘・麻里奈さん。そのことを聞いた父の梨元勝さんは、リポーターを辞めようと考えていたこともあったようです。

また、芸能人の立場からすれば、スクープを取られたり、質問されたくない話題を切り出してくる芸能レポーターの存在は、決して良いものとは言えないはずです。スキャンダルの時には、しばし芸能事務所と対立することも。

それでも、芸能人が記者会見などを開くと主催者側が梨元さんを探したり、取材を受けた芸能人側から梨元さんに相談をすることも度々あったと言います。

そのプロの芸能リポーターとしての情熱と、腰が低く、筋の通った人間としての魅力で、多くの関係者に愛された人物だったといいます。

 

そして、梨元さんの死後に催された『お別れの会』では、芸能関係者や著名人など約1000人もの人が集まり、生前、梨元さんと交流のあった俳優・萩原健一さんが弔辞を詠みました。

なぜ私が諸先輩方を差し置いて弔辞をするのかを考えました。それは、よく私が一番あなたとケンカしたからです。世間的にあなたに聞けばショーケンのことを全て知っているというが、それは男同士の友情、『これは口にしない』という友情があったから。『親が好きな有名人の悪口を言うんだと(いう理由で)、娘がいじめにあってしまい、リポーターを真剣にやめようかと思ってます』と肩を落として、目を真っ赤にしてましたね。それから、あなたのインタビューは、相手の気持ちを思うインタビューに変わった。そして、素直な気持ちが伝わっていった。今度、天国でお会いした時は、あなたが俳優で、私がリポーターとして仕事をしたい。長い間、お勤めありがとうございました

引用元:オリコンニュース

 

その弔辞からは、梨元さんのプロフェッショナルな姿勢と、家族を想う優しい人間性が伝わりますね。