【保険の歴史】日本における近代保険制度の誕生

今回は、日本における保険の歴史について紹介します。

日本における保険のルーツ

日本には、古くから「社倉・義倉」、「頼母子講(たのもしこう)」、「抛銀(なげがね)」、「海上請負」など…保険の概念に似た制度は多くありました。

しかし、現在の「保険」という仕組みが日本に登場したのは、今から約150年前、江戸時代のことでした。

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日本における近代保険制度の誕生

わが国における保険のはじまりは、あの1万円札で有名な福澤諭吉が、欧米の文化の1つとして近代保険制度を紹介したことがきっかけとされています。

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福沢諭吉と言えば、1万円札以外にも、“天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず”のフレーズで知られる『学問のすゝめ(すすめ)』や、あの慶応義塾大学の創始者としても有名です。

中津藩(今の大分県)の武士の家に生まれ、学問研究の道に進んだ福沢は、幕末、幕府の命令によりアメリカやヨーロッパなどに渡り、欧米の政治・社会・文化について学びます。

そして、慶応3年(1868年)、欧米の様子を記した著書『西洋旅案内』の中で紹介した制度の1つが「保険」でした。

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著書の中では、“保険”という言葉ではなく“災難請合”として、「生涯請合(生命保険)」、「火災請合(火災保険)」、「海上請合(海上保険)」の3種類の保険制度を紹介。

「災難請合(さいなんうけあい)とは、商人の組合ありて、平生(へいぜい)無事の時に人より割合の金を取り、万一其人へ災難あれば組合より大金を出(いだ)して其(その)損亡を救ふ仕法(しほう)なり。」

つまり、災難請合とは、普段から一定の割合のお金をみんなで出し合い、万が一のことがあればその集めたお金を支払う仕組と説明しています。

これが、日本における近代保険制度のスタートでした。

ちなみに2018年は、保険制度という概念が日本に誕生した150年目という節目の年でもあります。

保険会社の誕生

1879年(明治12年)、日本で初めて設立された保険会社が「東京海上保険」。

現在の損害保険の雄、「東京海上日動保険株式会社」の前身です。

 

また、1881年(明治14年)には、福沢諭吉の弟子・阿部泰蔵氏によって、現存している最古の生命保険会社「有限明治生命保険会社」が開業されました。

この明治生命は、2004年、「明治生命保険相互会社」と「安田生命保険相互会社」が合併し、現在の「明治安田生命保険相互会社」となっています。

ちなみに、現在の東京駅の近くにある「明治生命館」は、歴史ある建築物として国の重要文化財にも指定されています。

現在では日本の国民の約9割が加入していると言われている生命保険ですが、この頃は、「人の生死によって金儲けをするのか」という批判や誤解も多かったようです。

保険が日本の国民の間に浸透していくのには、時間がかかったとされています。

では、保険はどのように日本の国民に浸透していくのでしょうか?

今回は、ここまで。