渡哲也さんの直腸がん闘病の経緯、気になる現在は?

俳優の渡哲也さん(76)は、1991年、49歳の時に直腸がんの手術を受けました。

渡哲也さんと言えば、俳優としてスター的活躍をしながら、かつては“石原軍団”を率いる石原プロの社長も務めてきた芸能界の重鎮。

男らしいダンディなイメージのある渡さんですが、今年2018年12月末には、77歳になり喜寿を迎えます。

今回は、渡哲也さんのがん闘病の経緯、そして気になる渡さんの現在について紹介します。

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がん闘病した渡哲也さんのプロフィール


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渡 哲也(わたり てつや)
●本名:渡瀬 道彦(わたせ みちひこ)
●生年月日:1941年12月28日
●出身地:兵庫県淡路島
●身長:180cm
●血液型:B型
●趣味・特技:ゴルフ、空手2段、柔道初段、たき火
●出身大学:青山学院大学経済学部
●経歴:
・1965年、日活映画「あばれ騎士道」でデビュー
・1974年、『くちなしの花』で全日本有線放送大賞金賞受賞
・1976年放映『やくざの墓場 くちなしの花』で毎日映画コンクール男優演技賞とブルーリボン主演男優賞受賞
・2005年、紫綬褒章 受賞
・2013年、旭日小綬章 受賞

日活ニューアクションのスターから石原プロへ


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渡さんは、1964年、高橋英樹さんに続くスター候補として日活に入社。

1965年、宍戸錠さんとのW主演で『あばれ騎士道』でデビューを果たし、この作品でエランドール賞新人賞を受賞します。その後も多数の作品に出演し、一躍日活ニューアクション時代のスターとして活躍します。

1971年に石原プロに入社すると、松竹や東宝作品の主演を務めたり、ドラマやNHK大河ドラマのオファーなども来るようになります。

 

そして、歌手として1973年にリリースした『くちなしの花』は、計150万枚を売り上げ、有線大賞や紅白歌合戦にも出演し、タレントとしての地位を確立します。

また、テレビドラマの『大都会』シリーズや『西部警察』シリーズなど多数の刑事ドラマに出演し、その時の“角刈りにサングラス”というスタイルが、渡さんのトレードマークとなりました。

1987年、石原裕次郎さん(当時52歳)が肝細胞癌で亡くなると、渡さんが石原プロの2代目社長に就きました。

渡哲也さんの直腸がん闘病経緯

俳優としてもプロダクション社長としても活躍されていた渡さんですが、1991年、49歳の時に、直腸がんが発覚します。

柏木純一氏の著書『渡哲也 俺』によると、渡さんの闘病は壮絶なものだったそうです。


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同著書によると、当初は、直腸の上にあるS字結腸とその奥の下行結腸に、それぞれ5ミリと7ミリ大のポリープが2つあると確認されていましたが、内視鏡検査の結果、ポリープは4つあり、小さな1つは焼き切りましたが、残りは手術。

そして、見つかったポリープはどれも早期の段階にものでしたが、ポリープの病巣が深かったため、直腸を約25センチも切除する大手術となります。

渡さんは、この手術によってオストメイト(人工肛門)となったことを自身で公表しています。

気になる渡哲也さんのがん闘病…現在は?


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渡さんは、2015年6月に急性心筋梗塞で緊急入院し手術を行いますが、約1か月に退院し、仕事にも復帰しました。

また、仕事では、2011年に石原プロの社長を退任していましたが、2017年4月に石原プロの「相談取締役」に就任し、経営陣として復帰しています。

 

しかし、最近は、あまり体調は優れないようで、公の場に姿を現す機会は減っているようです。

2018年7月に行われた石原裕次郎さんの法要の際、渡さんは欠席。出席した同じ石原プロの舘ひろしさんによると「リハビリを一生懸命、やってくれてます」とメディアへのインタビューでコメントされていました。

また、映画関係者によると「肺気腫やぜんそくといった持病もあるため、いまは自宅療養を続けている」とのことです。

 

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