藤子・F・不二雄さんが闘病した肝不全とは?癌との関係は?

藤子・F・不二雄さんは、1996年9月、62歳の時に肝不全で亡くなりました。

藤子・F・不二雄さんは、岡山県高岡市の同郷である藤子不二雄A氏とのコンビ”藤子不二雄”として、『オバケのQ太郎』などのヒット作品を世に送り出します。

その後、1983年に”藤子不二雄”のコンビは解消しますが、藤子・F・不二雄さんは、『パーマン』、『21エモン』、『キテレツ大百科』、そして『ドラえもん』などのヒット作品を次々に生み出し、日本が世界に誇るアニメ作品の生みの親として活躍します。

 

ちなみに“藤子・F・不二雄”さんの「F」は、本名である藤本弘(ふじもと ひろし)さんの頭文字からとったものです。

一方、相方であった“藤子不二雄A”さんの「A」は、こちらも本名・安孫子 素雄(あびこ もとお)さんの頭文字からとったものです。

藤子不二雄Aとのコンビ解消後の当初は、“藤子不二雄Ⓕ”として活動を始めましたが、その約1年後、あのトキワ荘の仲間の1人で『仮面ライダー』等の生みの親・石ノ森章太郎氏のアドバイスによって“藤子・F・不二雄”に改名した経緯があったそうです。

 

今回は、そんな藤子・F・不二雄さんの闘病の経緯についてご紹介します。

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藤子・F・不二雄さんのプロフィール

本名:藤本 弘
生年月日:1933年12月1日
出身地:富山県高岡市

代表作
・『オバケのQ太郎』(共作)『パーマン』
・『21エモン』
・『ドラえもん』
・『キテレツ大百科』
・『エスパー魔美』
・『チンプイ』等

主な受賞歴:
・第8回小学館漫画賞「すすめろぼけっと」、「てぶくろてっちゃん」
・第27回小学館漫画賞児童部門
・第1回手塚治虫文化賞マンガ大賞
・第23回日本漫画家協会賞文部大臣賞
・映画特別功労賞
・ゴールデングロス賞
・アニメーション神戸’96読売賞

藤子・F・不二雄さんのがん闘病の経緯

1986年
・検査入院の際に、胃癌が見つかる。

1992年
・肝臓癌が見つかり、当時『コロコロコミック』で連載していた大長編ドラえもん作品「のび太と雲の王国」が中断となる。

1996年
・9月20日、自宅の仕事部屋で、机に向かったまま意識を失っているところを家族に発見され慶応義塾病院に救急搬送。そのまま意識は回復することなく、9月23日に死去。

 

藤子・F・不二雄さんが亡くなった直接的な原因は、「肝不全」によるものでしたが、実はその前にがん闘病もしていました。

1986年に始めて胃がんが見つかりますが、当時、仕事の関係者には病気のことについては全く話さなかったそうです。

そして、この胃がん闘病以降は、頻繁に体調を崩すようになっていたことを、後に関係者の方が明かしています。

同年9月29日に上野寛永寺で行われた葬儀では『ドラえもん』の声優を務めた大山のぶ代さん、藤子不二雄Aさんをはじめ、多くの人に見送られました。

藤子・F・不二雄さんが闘病した肝不全とは?がんとの関係は?

「肝不全」とは、なんらかの原因で肝細胞の機能が低下し、肝臓の機能が維持できなくなったために、意識障害、黄疸(おうだん)、腹水(ふくすい)、消化管出血、出血傾向、腎不全(じんふぜん)など、さまざまな症状をきたした状態をいいます。(参考:小学館 家庭医学より)

そもそも肝臓は、
消化管から吸収された栄養物の代謝
血液中のたんぱく質の合成
アンモニアの代謝
薬物・異物の代謝・解毒・排泄
…など様々な代謝機能をつかさどる大切な臓器です。

「肝不全」になる原因は、肝臓がんの進行により起こるケースや、ウイルス性肝炎・細菌感染・過剰なアルコール摂取・循環障害などによって、肝臓の機能が低下した場合にも起きるとされています。

藤子・F・不二雄さんが肝不全に至った明確な理由は不明ですが、亡くなる4年前の1992年に肝臓がんを患っていますので、その関連性が疑われます。

 

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