元中日ドラゴンズ・大豊泰昭選手が闘病した血液のがん・急性骨髄性白血病とは?

プロ野球選手の大豊泰昭さんは、2015年1月、51歳の時、急性骨髄性白血病によって亡くなりました。

大豊選手は、中日ドラゴンズや阪神タイガースに所属。

王貞治氏へのリスペクトから“一本足打法”を取り入れたバッティングスタイルで、1994年には本塁打王・打点王の2冠に輝くなど、多くの野球ファンの記憶に残る選手として活躍をおさめました。

今回は、大豊泰昭さんの闘病の経緯、そして急性骨髄性白血病についてご紹介します。

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大豊泰昭さんのプロフィール

●本名:陳 大豊(チェン・ダーフォン
●出身地:台湾(南投県埔里鎮)
●生年月日:1963年11月15日
●身長/体重:185 cm/95 kg
●投球/打席:左投/左打
●ポジション:一塁手、左翼手
●1988年 ドラフト2位
●在籍:中日ドラゴンズ (1989 – 1997)、阪神タイガース (1998 – 2000)、中日ドラゴンズ (2001 – 2002)

大豊泰昭さん、急性骨髄性白血病の闘病の経緯

●2009年
・3月、急性骨髄性白血病を患い入院。
・8月、退院。

●2010年
・3月、再発。
・その後、実妹からの骨髄移植を受け、9月上旬に退院。

●2015年
・1月18日、急性骨髄性白血病のため名古屋市の病院で死去。

大豊泰昭さんを襲った「急性骨髄性白血病」とは?

大豊泰昭さんが闘病した「急性骨髄性白血病」とは、血液のがんです。

どのような特徴があるのか、確認していきましょう。

1.急性骨髄性白血病とは?

血液中には赤血球、白血球、血小板などの血液細胞があり、骨の内部にある骨髄(こつずい)で血液細胞のもととなる造血幹細胞(ぞうけつかんさいぼう)から増殖しながら分化(未熟な細胞が成熟した細胞になること)してつくられます。

造血幹細胞は、骨髄系幹細胞とリンパ系幹細胞に分かれ、前者からは赤血球、血小板、白血球の一種である顆粒球(かりゅうきゅう)や単球に分化し、後者からはBリンパ球、Tリンパ球、NK細胞などのリンパ球に分化します(※図)。

急性骨髄性白血病(AML:Acute Myeloid Leukemia)は、このような血液をつくる過程の未熟な血液細胞である骨髄芽球に何らかの遺伝子異常が起こり、がん化した細胞(白血病細胞)が無制限に増殖することで発症します。

(図)

2.急性骨髄性白血病の症状は?

急性骨髄性白血病は、病状の進行が速いため、急に症状が出現する場合が多く、早期の診断と速やかな治療の開始が重要です。

症状が起こる原因は大きく2つに分類され、骨髄で白血病細胞が増加することによって、造血機能が低下し、正常な血液細胞がつくれないために起こる症状と、白血病細胞が臓器に浸潤(しんじゅん)することで起こる症状があります。

3.急性骨髄性白血病の原因は?

染色体や遺伝子の異常が原因の急性前骨髄球性白血病や、過去に化学療法(抗がん剤治療)や放射線治療を受けた後に発症する二次性白血病以外は、明らかな原因は不明です。放射線や化学物質などが要因になるといわれていますが、まだ十分に解明されていません。

発症頻度は10万人に2~3人で、発症率は年齢が高くなるにつれて増加します。

画像・出典:国立がん研究センター がん情報サービス 急性骨髄性白血病 基礎知識

「急性骨髄性白血病」を克服した有名人

この「急性骨髄性白血病」、有名人ではタレントの吉井怜さんが2000年、まだ10代の頃に同じ病気を発症しましたが、その後、克服し、現在もタレントや女優として活躍されています。

☞ 吉井怜さんの闘病の経緯は、コチラから

参考)がん闘病したプロ野球選手まとめ

大豊さんだけでなく、プロ野球選手には、これまでがん闘病を経験された方が多くいらっしゃいます。

今年2018年に亡くなられた星野仙一さん、衣笠祥男さんも、その1人です。

また、現在は解説者として有名な大島康徳さんは、最も進行した状態を表す“ステージ4”の宣告を受けながらも、積極的にブログを更新したりプロ野球の解説も行うなど、がんと向き合い闘病生活を送っています。

☞ がん闘病したプロ野球選手一覧、大島康徳氏の現在を調べる

【特集】癌(がん)闘病したプロ野球選手まとめ

 

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