アグネス・チャンさん、乳がん闘病の経緯
アグネス・チャンさんは、2007年、52才の時に乳がんが発覚します。
アグネスさんは、17才の時に『ひなげしの花』で歌手デビューし、たどたどしい日本語でお茶の間のアイドルとしてブレイクします。
その後は、ユニセフ協会の大使を務め、ボランティアやチャリティーなどを通じた社会奉仕を行い、貧困や平和についての発言が注目されるなど文化人としても活躍しています。
今回は、そんなアグネス・チャンさんの乳がん闘病の経緯についてご紹介します。
【プロフィール】
●生年月日:1955年8月20日
●出身地:香港
●1972年『ひなげしの花』で日本デビュー。一躍、アグネス・ブームを起こす。上智大学国際 学部を経て、カナダのトロント大学(社会児童心理学)を卒業。1984年、国際青年年記念平和論文で特別賞を受賞。1985年、北京チャリティーコンサートの後、 エチオピアの飢餓地帯を取材、その後、芸能活動のみでなく、ボランティア活動、文化活動にも積極的に参加する。
画像・引用:公式HPより
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アグネス・チャンさん、乳がん闘病の経緯
【2007年】
●9月、右の乳房に小さなしこりを感じたことをきっかけに、産婦人科で超音波検査を受ける。さらに詳しい検査が必要と告げられ、あらためて聖路加国際病院の乳腺外科で検査。乳がんと診断される。
●10月、1日、乳房温存手術を行う。9日、退院。
●11月、放射線治療を開始。その後、ホルモン治療を開始。
アグネスさんが選択した「乳房温存手術」とは?
乳がんの治療方法は、主に「手術」「放射線治療」「薬物療法」があります。
そして、「手術」には、乳房を全摘出する手術と、乳房の一部を切除する手術があります。
温存とは身体機能を温存するという意味で、後者の乳房の一部を切除する手術(乳房温存手術)と温存乳房への手術後の放射線療法を組み合わせた治療のことを言います。
この「乳房温存手術」は、乳がんの再発リスクを高めることなく、乳房も残すことができる治療法として知られています。
ただし、この温存療法は、誰もが選択できる治療法ではなく、初期段階の患者さんを対象したもの。
また、しこりの大きさ等によっても手術の可否を判断をするようです。
乳房は全部取るべき?残すべき?アグネスさんの決断は?
当初、アグネスさんは、内科と小児科の医師である実のお姉さんから、乳房全摘出手術を勧められます。
全部摘出してしまえば、再発のリスクが少なく、その後に、放射線や抗がん剤の治療なども行わなくて良いからという理由で、アグネスさん自身も納得していました。
しかし、「全部摘出しても、温存(乳房を残すこと)をしても、転移する率はあまり変わらない」という担当の医師の説明、そしてアグネスさんの旦那さんの意向もあり、最終的には温存手術を選択します。
実際には、基本的には温存手術で、手術中に少しでも転移の疑いがあった場合には、全部摘出する手術に切り替えるという方針で治療を決めたのです。
つまり、手術が終わるまで、乳房が全部無くなってしまうのか残るのか分からない状態で手術に臨んだのでした。
結果としては、リンパ節への転移が確認されなかったため、当初の予定通り、乳房の機能を残す乳房温存手術で無事に手術を終えます。
アグネスチャンさん、乳がん早期発見のきっかけは?
アグネスさんは、がんになるまで子供の頃から大きな病気をすることもなくずっと健康だったそうです。
身近な家族にがんになった方もいなかったため、がん保険にも入っていなかったとのこと。
そんなアグネスさんが、乳がんを早期に発見できたのは、「リレー・フォー・ライフというアメリカ発祥のがん啓発イベントのおかげ」だと言います。
2006年、たまたまゲストとして呼ばれたテレビ番組をきっかけに、2007年、自主的に関西リレー・フォー・ライフにも参加。
乳がんを見つけるきっかけとなった“小さなしこり”を発見したのは、まさにそのイベントの翌週。
参加したリレー・フォー・ライフのイベントで言われた「少しでも異常を感じたら病院で診てもらった方が良い」という言葉によって、検診を受けることを決めたのです。
つまり、そのイベントに参加していなければ、ちょっとした異常はそのまま見過ごされ早期の発見は難しかったかもしれないといいます。
手術後、アグネスさんは、リレー・フォー・ライフやピンクリボン活動など、様々ながん検診の啓発イベントや講演会に積極的に出演。
そして、手術から10年以上経った現在でも、地道に乳がん検診の大切さを訴える活動を精力的に行っています。
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