シンソウ坂上SPでZARD坂井泉水特集…「自ら死を選ぶような人ではない」

17日放送のフジテレビ系『直撃!シンソウ坂上SP』(19:57~)では、40才という若さでこの世を去ったZARD(ザード)坂井泉水さんを特集。

番組では、当時メディアにほとんど出ることのなかった坂井泉水さんの生前の貴重映像が公開され、デビューの秘、楽曲の制作秘話、また、亡くなる直前の様子などが関係者から語られるなど、謎のベールに包まれていた彼女の真相に迫りました。

今回は、速報として、「番組を見逃してしまった!」という方のために、10月17日に放送された『直撃!シンソウ坂上SP』の番組内容や視聴者の感想などをまとめました。

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(1)ZARD坂井泉水さん、明かされた普段の姿


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番組では、デビュー時から全盛期に渡るまで、坂井泉水さんの当時を知る関係者が登場し、当時、めったにメディアに登場しなかった彼女の素顔が明かされました。

当時ZARDのミュージックビデオの撮影を担当した映画監督の岩井俊二さんは、撮影時のやりとりの際に坂井さんが天然な性格であったことを告白。

普段から坂井さんと身近に接していたレコーディングスタッフは、普段は、話好き場を和ませようとする気さくな坂井さんの意外な素顔を明かしました。

また、絶大な人気ぶりから、当時、週刊誌に、過去の水着やグラビアについてあることないこと報道を受けた際は、「それが今のZARDの活動につながっているから、全然公開していない」と、周囲のスタッフに明かるく話していたことも明かされました。

さらに、当時テレビにめったに出ることがなかった彼女が、テレビ番組に出演しトークをしている姿や、楽曲制作の現場で明るく話す映像も放送されました。

(2)坂井泉水さんの最期…「自殺を選ぶような人ではない」


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番組では、当時、「自殺ではないか?」とも噂された坂井泉水さんの謎の多い死についても触れました。

坂井泉水さんの最期を知るスタッフが、息を引き取る間際の坂井さんの様子について告白。

長年、坂井さんと共にに音楽制作をしてきたスタッフが病床にかけつけた際、坂井さんは家族に囲まれ、スタッフが握った坂井さんの手はまだ温かかったものの、すでに意識はなかったといいます。

また、当時憶測を呼んだ自殺の可能性については、彼女の性格に触れ、「彼女は自分から死を選ぶような人ではない」と答えていました。

(3)盟友・大黒摩季さんが明かした坂井泉水の素顔


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番組内のVTRでは、同じレコード会社ビーイングの所属アーティストで深い親交のあった大黒摩季さんもたびたび出演。

ZARDのバックコーラスとして参加するなど交友関係のあった大黒摩季さんは、ZARDのデビュー曲のレコーディングに参加した際、当時まだ無名だった大黒さんに対して、坂井さんがわざわざ腰低く丁寧に挨拶にしにきたエピソードを披露。

ちなみに大黒摩季さんは、まだ大黒さんがデビュー前の下積み時代、ZARDのデビューシングル『Good-bye My Loneliness』(1991年)からコーラスとして参加し、坂井さんらとともに一緒にレコーディング作業をしていたエピソードも披露しました。

また、坂井泉水さんの訃報を知った当時の大黒さんは、「私が代わってあげたいと思った」と、涙ながらに彼女とのエピソードを激白しました。

(4)シンソウ坂上SPを見た視聴者の反応・感想は?

以下は、『直撃!シンソウ坂上SP』を見た視聴者の方たちの感想です。

 

 

 

(5)まとめ

今回は、10月17日に放送された『直撃!シンソウ坂上SP』の“ZARD坂井泉水特集”の内容をカンタンにまとめました。

往年のZARDファンの方にとっては、特に驚くような新しい情報はなかったと思います。

しかし、この世を去って12年が経過しても、未だに注目を集める坂井泉水さんの音楽業界への功績と、彼女の遺した作品の素晴らしさをあらためて実感できる機会だったのではないでしょうか。

私たちにとって、ZARD・坂井泉水は「永遠」なのです。

 

ZARD・坂井泉水さんのプロフィール


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●生年月日:1967年2月6日(享年40才)
●出身地:神奈川県平塚市
●学歴:松蔭女子短期大学卒業
●経歴:
・坂井泉水さんは、1989年、22才のときに、本名である「蒲池幸子(かまち さちこ)」名義で芸能活動をスタート。有名な芸能事務所・スターダストプロモーションに所属し、モデルとして活動をしていました。

・その後、B’zやTUBEの音楽プロデューサーだった長戸大幸氏と出会い、1991年にZARDのボーカリストとして歌手デビューすると、『負けないで』(1993年)、『揺れる想い』(1993年)『マイ フレンド』(1996年)等のミリオンヒット曲を次々とリリース。

・アルバムCDの売上枚数が9作連続でミリオンヒットを記録し、また、90年代のアーティストのCDトータルセールス女性がボーカル部門で1位を獲得するなど、日本を代表する女性アーティストとして活躍しました。

・また、DEEN、FIELD OF VIEW、WANDSなど所属レコード会社内のアーティストの作詞作曲も手掛けていました。

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