イチローの生みの親…仰木彬さんの肺がん闘病

元プロ野球選手・監督の仰木彬さんは、2015年12月、70歳の時に、肺がんによる呼吸不全のため亡くなりました。

仰木さんと言えば、元オリックス・ブルーウェーブ(現オリックスバッファローズ)の監督として、1995年にチームを初のリーグ優勝、そして、その翌年1996年には日本一へと導きました。

また、1994年の監督就任直後に、それまで2軍生活を続け無名だった鈴木一朗選手の登録名を「イチロー」と無理矢理に改名させ、すぐに1軍に起用し、野球界のビッグスターへと育てた人こそ、この仰木彬さんなのです。

(ちなみに、同時期にパンチパーマだった佐藤和弘選手を「パンチ佐藤」と命名したのも仰木さん

今回は、“仰木マジック”とも呼ばれ、プロ野球界の名将として歴史の残っている仰木彬さんのがん闘病の経緯についてご紹介します。

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仰木彬さんのプロフィール

仰木 彬(おおぎ あきら)
●出身地:福岡県中間市
●生年月日:1935年4月29日
●出身校:福岡県立東筑高等学校
●身長/体重:170cm/67kg
●右投右打

●現役時代
・右投右打
・ポジション:二塁手
・プロ入り:1954年
・初出場:1954年3月27日
・最終出場:1967年7月4日
・在籍:西鉄ライオンズ (1954~1967)

●コーチ歴
・西鉄ライオンズ (1968~1969)

●監督歴:
・近鉄バファローズ (1970~1992)
・オリックス・ブルーウェーブ(1994~2001)
・オリックス・バッファローズ (2005)

球界の大物たちから慕われていた仰木彬さん

 

仰木さんが監督時代に育てた選手には、イチロー選手以外にも、野茂英雄選手、長谷川滋利選手、田口壮選手などがいます。

彼らは、皆、メジャーリーグに挑戦した選手としても有名ですが、全員が仰木さんのことを「師匠」と呼び尊敬しているのです。

特にイチロー選手は、2005年に仰木さんが監督として復帰する際に、自身が付けていた背番号「51」を付けるよう勧めたというエピソードもあるほど。

2016年、イチロー選手が、メジャーリーグで史上30人目となるMLB通算3,000本目のヒットを打った時のインタビューでは、

「仰木さん思い出した」
「神戸で2000年の秋、お酒の力を使って大リーグ移籍を口説いた。仰木さんの決断がなければ、何も始まらなかった。」

とコメントしました。

プロ野球ファンの誰もが、イチロー選手偉業達成の裏側に、仰木監督という偉大な存在があったことをあらためて思い出した出来事でもありました。

仰木彬さんの肺がん闘病経緯

仰木さんは、生前、がん闘病していたことは公表していませんでした。

2001年にオリックス・ブルーウェーブ(現オリックス・バッファローズ)の監督を退任した後、2002年から2004年の期間は、野球解説などを行っていましたが、この時期には自身が肺がんであることは分かっていたそうです。

そして、肺がんが完治していない2005年、仰木さんはオリックス・バッファローズの監督へ復帰します。

シーズン中は、病状を隠しながらグラウンドに立ち、体調を崩しながらも3年連続最下位となっていたチームをプレーオフ進出争いができるまでに躍進させます。

シーズンの終わった10月、惜しまれつつ体調不良により監督を退任しますが、その直後、体調が急激に悪化し、2005年12月、肺がんによる呼吸不全のため亡くなりました。