いかりや長介さんのがん闘病 ~「原発不明頚部リンパ節がん」とは?

いかりや長介さんは、2004年の3月、72歳の時に、原発不明頚部リンパ節がんによって亡くなりました。

いかりやさんと言えば、志村けんさん、加藤茶さん、高木ブーさん、仲本工事さん率いる「ザ・ドリフターズ」のリーダーとして『8時だョ!全員集合』や『ドリフ大爆笑』に出演し、お茶の間の人気者として一世を風靡。

また、コメディアンの傍ら『踊る大捜査線』をはじめとするドラマや映画、多くのミステリードラマにも出演するなど俳優としても活躍しました。

今回は、いかりや長介さんのがん闘病の経緯についてご紹介します。

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いかりや 長介さんのプロフィール

●生年月日:1931年11月1日
●出身地:東京府東京市本所区中之郷横川町(現在の東京都墨田区東駒形)
●身長:175.2cm
●所属事務所:渡辺プロダクション→イザワオフィス
●経歴:1964年にザ・ドリフターズを結成。ザ・ドリフターズとして、1966年、ビートルズの前座として日本武道館で公演を行う。1969年、『8時だョ!全員集合』が放送開始。1985年、俳優、タレントとしての活動を開始。1999年には、『踊る大捜査線 THE MOVIE』で第22回日本アカデミー賞最優秀助演男優賞を受賞する。

いかりや 長介さんのがん闘病経緯

●2003年
・4月下旬、頚部(けいぶ)に腫れを感じ、病院での診察を受ける。
・5月、「原発不明頸部リンパ節がん」と診断され、緊急入院。早期のがんだったため、手術はせず放射線による治療を開始。
・7月、入院していた病院を退院し、その2日後に映画『踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!』の舞台挨拶で復帰。
・その後も、メディア出演の傍ら、検査のため定期的に入退院を繰り返す。

●2004年
・3月15日、検査での病状が思わしくなかったため、東京慈恵会医科大学附属病院に再入院。
・3月20日、逝去。

(いかりや長介さんの長男・いかりや浩一氏によるエッセイ『いかりや長介という生き方』)

いかりやさんは、2003年7月の退院後、一時はメディアに出演し復帰をアピールしていましたが、実は、この退院した直後、担当医師からは「余命は、もって数ヶ月」との宣告を受けていたことを、のちに長男・浩一氏が明かしています。宣告を受けたのはいかりやさんのご家族で、長介さん自身には知らされていなかったといいます。

いかりや長介さんが闘病した「原発不明頚部リンパ節がん」って何?

いかりやさんが闘病した「原発不明頚部リンパ節がん」は、がんが発生した場所が分からない“原発不明がん”の一種です。

“原発不明がん”は、全てのがんの約1~5%程度と、非常に珍しく、治療法も確立させていません。
がんの病巣が分からないので、明確な治療の方針を立てるのが難しく、死に至ってしまうというケースが多いのです。

“原発不明がん”は、首の周り(頸部)にできることが多く、リンパ節に転移した場合には痛くないしこりとして見つかることがあります。いかりやさんの闘病した「原発不明頚部リンパ節がん」が、まさにそのケースということになります。

ちなみに最近の研究では、”原発不明がん”の場合も、最期までの経過を振り返ると、結果的に原発部位として多いのは膵臓・胆道・肺と報告されているようです。

いかりや長介さんは、チョッパー奏法のパイオニア!?

ちなみに、いかりやさんと言えば、晩年に出演したテレビCMでウッドベースを弾いている姿がとてもカッコよくて印象に残っているという方も多いのではないでしょうか。

実際、ベーシストとしての腕もたしかで、日本人で初めて”チョッパー”というレベルの高いベース奏法を取り入れていた人こそ、いかりやさんだった…という噂もある程です。