坂本龍一さんの中咽頭がん闘病の経緯…放射線治療拒否の真相は?

坂本龍一さんは、2014年、62歳の時に中咽頭がんが発覚します。

坂本さんは、1978年に細野晴臣、高橋幸宏とともに「YMO」を結成し、『ライディーン』『君に胸キュン』などが大ヒット。

シンセサイザーを使った独特の音楽は社会現象となり、その後の日本の音楽シーンやミュージシャンたちに多大な影響を与えました。

大島渚監督が手掛けた映画『戦場のメリークリスマス』(公開:1983年)では、音楽を担当しヨノイ大尉役としても出演。映画の表題曲は、あまりにも有名です。

また、90年代後半にリゲインEB錠のCMで流れていた『energy flow』ではさらに新たなファンを開拓し、その後も音楽業界に様々な功績を残してきました。

今回は、そんな日本音楽界の“教授”こと、坂本龍一さんのがん闘病の経緯をご紹介します。

画像引用:所属レーベル公式HP

【プロフィール】
●生年月日:1952年1月17日
●出身地:東京都中野区
●学歴:東京芸術大学大学院修士課程

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坂本龍一さん、中咽頭がん闘病の経緯

●2014年
・3月、のどに不快感を感じ、日本で検査を受ける。この時、のどの異常は確認されず。
・6月、のどに感じる異物感が増してきたため、ニューヨークで検査を受け、中咽頭がんが発覚。
・7月、療養に専念するために、コンサート活動などの中止を発表。
・ニューヨークの病院に入院し、治療を受ける。

「健康には自信があった」


戦場のメリークリスマス Blu-ray

坂本さんは、とあるインタビューで、健康には人一倍気を使ってきたため「自分ががんになるとは思ってもみなかった」と告白していました。

若い頃は、暴飲暴食をすることもあったそうですが、40歳を過ぎ、老化を感じ始めた頃から、食事をオーガニックにしたり、整体やヨガを行うなど特に健康に気を使って過ごしてきたそうです。

そのため、なぜがんになったのか?坂本さんご自身でその原因などを調べたこともあったようですが、その要因は無数にあり分からなかったと話していました。

治療後は、再発がないよう免疫力を高めるために、さらに食生活や生活習慣に気を遣うようになった坂本さん。

免疫力を高めるためには腸の状態を良くしなければならないと考え、腸に負担のかけない食事や野菜中心の食生活に切り替えたとのこと。

また、もともと嫌いだった運動も毎日行い、ウォーキングや軽いジョギングや筋トレなども行っているそうです。

脱原発のために放射線治療を拒否したって本当?

坂本さんのがん公表後、スポーツ紙によって「脱原発運動に参加していたことから放射線治療を拒否した」という噂が世間に広がりました。

これについては、所属レーベルのエイベックス、そして坂本さんご人身も否定しています。

“脱原発の立場を理由に、放射線治療を拒否することはない”と反論しました。

がんは“日本人の2人に1人がなる病気”と言われ、今後ますます身近な病気になってきますが、治療方法の選択には医師の相談のもと正しい知識と慎重な判断が求められます。

がんの治療方法には、手術、放射線治療、抗がん剤治療など複数の選択肢がありますが、がんの部位や進行具合、患者さんの体力によってもその選択は変わってきます。

治療にあたっては、知識不足による安易な偏見などは捨てなければいけません。

現在の坂本龍一さんは?再発は?

数か月の治療後、坂本さんは映画音楽の制作のために早々に仕事に復帰します。

山田洋二監督の『母と暮らせば』(公開:2015年8月)や、『バベル』などの作品で知られるアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督の『レヴェナント:蘇えりし者』(日本公開:2016年4月)など大きな話題となった映画の音楽を手がけました。

特にイニャリトゥ監督からの要求は厳しかったそうで、まだ体調も完全に回復した状態ではなかったため、“絶対にガンが再発して死んでしまうかもしれない”と思うくらいストレスがあったことを後に明かしています。

しかし、がん発覚から4年が経った現在、坂本さんの経過は良好のようで再発などもないようです。

“がんになるまで40年間休みがなかった”という坂本さん。

現在は、毎日身体に気を遣いながら、ストレスを溜めないよう仕事も選びながら音楽活動を続けています。