池田貴族、壮絶な肝細胞がん闘病の末に…奥さん、娘さんの現在

ミュージシャンの池田貴族さんは、1999年、肝細胞がんにより36才という若さで亡くなりました。

池田さんは、1989年、ロックバンド「remote」のボーカリストとしてTBS系『平成名物TV』内の企画・イカすバンド天国=通称“イカ天”に出演。

番組内で人気が出たことをきっかけに、1990年、メジャーデビューを果たします。

また、池田さんは霊能力のある“霊感タレント”として、心霊番組への出演や本を出版する活動も行うなど異色のアーティストとして話題になりました。

今回は、そんな池田貴族さんのがん闘病についてご紹介します。

【プロフィール】

●1963年5月8日生まれ-1999年12月25日(36歳没)
●出身地:愛知県名古屋市
●所属:ホリプロ
●1990年、ロックバンド・remoteのボーカリストとしてシングル「NO!」でデビュー。

wikipediaより

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池田貴族さんの肝細胞がん闘病の経緯

●1996年
・肝細胞がんが発覚。ステージ3、5年生存率は50%と告知される。手術は成功したが、肝臓の4分の1を切除した。

●1997年
・前回の手術から10か月後、再発。ステージ4aと診断。
・手術後、抗がん剤による治療開始。

●1998年
・がんが再発。肺にも転移が確認される。

●1999年
・12月 25日、36才で逝去。

奥さん・一美さんは抑うつ状態に

池田貴族さんの死から17年後、2017年2月に放送されたTBS系『爆報THEフライデー!』に、元アイドルの奥さん・一美さんが出演。

 

池田さんが亡くなった当時、池田さん夫婦には1歳の娘さんがいました。

一美さんは、育児をしながら夫の闘病を献身的にサポートしてきたものの、池田さんの死の直前は、抑うつ状態になっていたことを告白します。

夫の介助を断ってしまったり、病室にもいたくないと思うようになり、最期の別れをしっかりとできないまま夫の死を迎えることになってしまったのです。

 

その出来事は、一美さんを激しく後悔させ、その先の人生も変えることに…。

一美さんは、夫・貴族さんとの最期の時間を埋めるために介護福祉士になることを決意。

そして、猛勉強により資格を取得し、老人ホームで17年間休むことなく勤務。

現在では、認知症患者から看取り介護まで行う介護のプロフェッショナルとしてお仕事をされています。

池田貴族さんの娘さんは、お父さんと同じ芸能界の道へ

池田貴族さんが亡くなる1年前、1998年に生まれた美夕さんの存在は、闘病中の池田さんにとっての大きな励みになったそうです。

―どうしても美夕が3才になるまでは生きなければいけない。
―3歳にもなれば、お父さんのことを覚えているだろうから。
―女の子だから、20才までは見守らなきゃ。

池田さんは、闘病中も、チャリティコンサートやライブ、みうらじゅんさんプロデュースのもと『MiYOU』の楽曲をリリースするなど精力的に活動を続けます。

しかし、無念にも願いは叶わず、1999年、36才で池田さんは帰らぬ人となってしまいます。

 

そして、現在。

池田貴族さんが亡くなった当時、まだ1歳だった池田美夕さんは、20歳に。

美夕さんは、お父さんの池田貴族さん、元アイドルだったお母さん・一美さんがかつて選んだ道“芸能人”として活動をしています。

画像:所属事務所スパイラルミュージック公式HP

 

がんとの闘いは、患者さんとそのご家族にとっても大変な闘いとなります。

闘病している患者さん自身はもちろん、そのご家族にとっても、大きな出来事として今後の生き方を変えるきっかけとなるのです。

“2人に1人ががんになる”という時代、がんに対する正しい知識と備えは、すべての人に必要なことなのです。

 

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